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ダイアリーを継ぐもの

秋葉原通り魔殺人事件の感想

昨日の午後。
日曜日の秋葉原と言えば、歩行者天国。車は通ることもなく、広い道路の中に露店が出ていたりでまったりしています。
近々、行こうかなと思っていたところですが、7名の無関係な人が殺されてしまったとのニュース。


秋葉原刺殺事件の遭遇者よりのリアル配信

これはかなり楽しんでいたと思います。
もしかしたら報道のカメラマンはこういう気持ちになってる人もいるんだろうなぁ?そんな気持ちの中ひたすら撮って、みんなの反応を見ていた。

放送権を持ってない普通の人がネットを使って外でボタンを数回クリックするだけで映像をリアルタイム配信できてしまうというのは、すごいことだよね。

確かに便利な世の中になった。
しかし、出来るから何でもやってしまうと言うのでは、犯罪とさして変わらない危うさを秘めている。
果たしてこの事件、リアルタイムでリアルな事にどれだけの価値があったのだろうか?
今まで殺人衝動を眠らせている人にとっては、スイッチが入ってしまったかもしれない。

通り魔について

さらに気になるのは、この通り魔の事。通り魔の普段の印象は一見普通の人だと。
天漢日乗: 秋葉原通り魔殺傷事件(その6)容疑者は日研総業の派遣社員で裾野市にあるトヨタグループの関東自動車工場勤務 6月一杯で辞めるよう通告を受ける
「彼女がいない、この一点で人生崩壊」 秋葉原殺人犯の孤独と苦痛 | エキサイトニュース
殺人に至るまでの動機は、雇用問題からくる絶望感といったところ。殺人衝動が起こってしまったのは残念です。

私も危うさはある

個の可能性に対する限界や挫折を繰り返すうちに、ネガティブ思考が身についてしまいました。
年々、単価の安い外国人が増えていき、日本人に求められる仕事はハイレベルになるばかりです。
世の中は、年々技術的な進歩をして最適化はされているけれど、人類や地球にとって悪い方向に働いているような気がします。
そんなことに歯止めをすることも出来ない絶望感を持っていますし、将来どうにかなる世の中とも思っていません。
これから死んでいく人にとってはさしたる問題ではありませんが、これから生きていく人にとっては世の中のためになるかの良し悪しも関係なくただただ進むしかない。
そんな、世の中に対する絶望感はありますけれど、それが殺人衝動に繋がらないだけです。

ハイテク社会が実行の機会を拡大した

これまでは、快楽殺人の発生率における東西の差違を人種、民族の特質に帰する傾向が強かったが、人類学的に考えてもあまり科学的な議論とは言えない。
現在の日本では、経済的な充足にもかかわらず家庭環境が崩壊し、いじめや虐待が目立ってふえている。社会状況や家庭状況がある意味でアメリカ化しているといえ、そのことが快楽殺人者をふやす結果となっているのであろう。これは犯罪のグローバル化とも考えられる。
犯行にあたりインターネットや携帯電話を利用するという手段も最近の快楽殺人によくみられる現象である。こうした新しいツールを利用することで、自殺サイト殺人事件のように、容易に被害者となりうる人を発見でき、また犯行を再現して楽しんだり、犯行後に犯行声明を送ることがたやすくできるようになった。こうして今日のハイテク社会は、もともとまれで密室的な犯罪である快楽殺人に、実行の機会を広く与えるという深刻な事態を招いてしまった。これは今日のインターネット社会への警鐘でもある。
その意味では、自殺サイトなどについては、新たな快楽殺人を防止するうえでも何らかの規制を加えるべきであろう、と私は考えている。

この手の事件は、伝わるほど伝染していく。
同じ感覚を持っている人には、更にシンクロしてしまうよ。
またいずれ起こる。
無くならないよ。
犯罪者になれる素質は誰しも持っている。
スイッチさえ入れば、殺人衝動は起こる。