Appleコンピュータへの好き嫌いはあったとしても、パソコンを使っていてその名を知らぬ者は「もぐり」といっても過言ではない。それほどのカリスマ性のあるスティーブ・ジョブズ氏が死去された。
スティーブ・ジョブズ氏の作ったAppleコンピュータの影響力は高く、DTP、DTMなどのデザイン系の仕事であれば当然の如く使われている。
私はといえば、工芸の担任専用ルームで初めてのマッキントッシュと出会った。工芸の先生がやっているゲームは、プリンセスメーカー。元祖、美少女育成ゲームである。高校生の頃は美術部で、美術より工芸が好きな私は工芸室への出入りをしていた際の出来事だった。
今を思えば、あれがフラグだったのだ。
パソコン及び美少女ゲームへの異常なまでの興味を私に植え付けるだけの影響力を受けている。
その他にも、iPod、iPhone 3G、iPhone 4を購入し、新たな端末の在り方にワクワクしている。生活への影響もかなりのものだ。
スティーブ・ジョブズ氏、ありがとう!!
ご冥福をお祈りします。
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スティーブ・ウォズニアックと共に、ワンボードマイコン「Apple I」を開発・販売し、アップル社設立後には、パーソナルコンピュータ「Apple II」を発表。株式公開後には2億ドルもの巨額を手中にし、20代でフォーブスの長者番付に載り、世間の注目を集めた。
ゼロックス社パロアルト研究所を見学した際、Altoで動作していた暫定Dynabook環境のグラフィカルユーザインターフェースにインスピレーションを受け、パーソナルコンピュータ「Lisa」を開発。続いて、ジェフ・ラスキンらのMacintoshプロジェクトの主導権を握り、新たなコンピュータ像を創造した。発表された「Macintosh」は、当時存在したあらゆるパソコンを凌駕する洗練されたものであり、再び時の人となった。しかし、本人の立ち居振舞いのために社内を混乱させたとされ、アップルの役員達から社内でのすべての職を剥奪された。
アップル退職後、ルーカスフィルムのコンピュータ・アニメーション部門を買収して、ピクサー・アニメーション・スタジオを設立。また、自ら創立したNeXT Computerで、ワークステーション「NeXTcube」と先進的オペレーティングシステム (OS) NEXTSTEPを開発した。1996年、業績不振に陥っていたアップル社にNeXTを売却することで復帰、1997年には、暫定CEOとなる。その後、ライバルとされていたマイクロソフトとの資本連携に踏み切り、Macintosh互換機へのライセンスを停止、社内のリストラを進めてアップル社の業績を回復させた。
2000年、正式にCEOに就任。2001年から2003年にかけてMacintoshのOSをNeXTの技術を基盤としたMac OS Xへと切り替える。その後はiPod・iPhone・iPadといった一連の製品群を軸に、アップル社の業務範囲を従来のパソコンからデジタル家電とメディア配信事業へと拡大させた。
暫定CEOに就任して以来、基本給与として、年1ドルしか受け取っていなかったことで有名であり(実質的には無給与であるが、この1ドルという額は居住地の州法により、社会保障を受けるために給与証明が必要なことによる)、このため「世界で最も給与の安いCEO」とも呼ばれた。2006年に、ピクサーをディズニーが買収したことにより、ディズニーの個人筆頭株主となり、同社の役員に就任したが、ディズニーからの役員報酬は辞退していた。
2011年10月5日、アップルはジョブズが死去したと発表した。別の報道では死因は膵癌と報道している。享年57(満56歳)。